ワークスタイル変革が必要な理由

私の母の話をさせてください。
私の両親は共働き。
父は朝7時には家を出て、夕方に帰ってくることが多い。
母は9時頃に家を出て、21時以降に帰ってくることが多い。遅いときは22時半を過ぎる。
今もそんな感じだから、本当によく働いていると思う。
大変ながら、なんだかんだで仕事が好きなのだろう。
私が小さいころ、一人っ子であった私の面倒を見てくれたのは、基本的に祖母だった。
毎回、「今日の晩御飯何がいい?」と聞いてくるのも、
算数が苦手で“13-8”ができない私に
「“10-8”をしてから残りの“3”を足したら同じ答えになるよ」と教えてくれたのも、
学校の愚痴を1番最初に聞いてくれるのも家族の中では祖母だった。
それが普通だった。
父は家に帰ってきたら、普通にかまってくれた。
母は家に帰ってテレビを見ながらうたた寝していることが多かった。
母が帰ってくる頃には、自分はすでに寝てしまっていることも多かった。
別にそれが普通だった。
幼いなりに仕事大変なんだろーなくらいに思ってた。
小学生の頃、
私は完全なおばあちゃんっこだったし、休日は父と遊びにでかけていた。
年に1回ある父と母との旅行が楽しみだった。
中学生になってから、
毎年恒例で母と共通して好きなアーティストのLIVEに行くようになった。そのアーティストの熱狂的にファンになったのは中2からだったのだが、小学生の頃からすでに好きだった。
そう考えると、ファン歴も随分長くなってきた。
そこから、母が休みの度に2人で買い物にすることが増えた。
父がインドア派なこともあってか、私の思春期の到来もあってか父と休日に出かけることは極端に減った(笑)
日頃の生活では、相変わらず家事をするのは祖母だった。
(今思うと、当時手伝わなかった自分が腹立たしい。。。)
年に1回の家族旅行はなくなり、
私の1年の1番の楽しみは母とLIVEに行くことになっていた。
昔は父親似と言われていたが、高校生になるにつれ母に似ていると言われることが多くなった。
3年前の春、大学生になった。
一人暮らしを始めた。家事って大変なんだなって気づいた。
親のありがたみよりも、寂しさよりも、祖母の日頃の家事の苦労が身に染みた。
それから、普通に大学生活を送った。
1人暮らしにもすっかり慣れた。
大学2年の20歳の誕生日のとき、母からプレゼントとメッセージをもらった。
今までプレゼントとケーキをくれるのが普通だったが、
20歳の誕生日はケーキではなく、メッセージだった。
その小さなメッセージカードを見て、私は少し涙がでた。
他人の母から娘への誕生日メッセージなんて興味ないだろうし、
公開したら、母から怒られるかもしれないのだけど、それを覚悟して公開する。
沙織ちゃんへ
HAPPY BIRTHDAY!! 20才
育児とか、さーちゃんの面倒をあまりしていない自分に反省します。
特に大きな病気やケガもなく育ってくれてありがとう。
これからの成長と楽しく過ごせる将来に期待します。
母より
母からのBIRTHDAYメッセージ
他人からすると、別に感動するものではないかもしれない。
しかし、このメッセージは娘である私には心に刺さったものがあった。
私が小さい頃、
母は育児をしていないんじゃなくて、単純にできなかったのだと思う。
そりゃあ、朝9時に家をでて21時以降に帰宅したらできないよ。
疲れてうたた寝するのも仕方ないし、私がその時間に寝てしまっているのも仕方なかった。
私はそれが普通だったのに。
祖母が家事をして、私の面倒をみていることが普通だったのに。
反省なんかしなくていいのに。
母も母なりに母親の役割を頑張っていることを私は知っていた。
私のお弁当を、母は毎日朝早くに作ってくれていた。
仕事が休みの日は母が晩御飯を作ってくれていた。
しかし、
このメッセージを読んで、20歳にして初めて気づいたことがある。
幼かった当時の私は「もっとお母さんにかまってほしかった」と心のどこかで思っていたということだ。
過去の自分の素直な気持ちを今になって知るなんてよくある話である。
当時を思いだすと、
友達の家に遊びに行くときに、友達の母は出迎えてくれるのに、どうしてうちの母は夜遅くしか帰ってこないのだろう。なんで、学校が終わって遊んでくれるのは祖母なのだろう。と疑問に思ったことがある。
母のことを悪く思うというわけではなく、単純に不思議だった。
でも、その疑問の根底には「もっとかまってほしいのに」という気持ちがあったのだろうと思う。
幼い私は自分なりに母の仕事の大変さを知っていたから、それを伝えることはなかった。
実は、小さいころから、おばあちゃんっこであるのと同時にお母さんっこであったのかもしれない。
小学生ながら、徐々に寝る時間が遅くなっていたのもテレビ番組を見る他に原因があったのかもしれない。
母の帰りを待っていたのかもしれない。
私が毎年恒例で母とLIVEに行くアーティストを好きになったきっかけも実は母である。
テレビで母がそのアーティストをよく見ていた。
そのときの母はとても楽しそうだった。
なぜか今でも、小学生の頃にふと見かけた、テレビに映るアーティストを見る何気ない母の姿が
鮮明に頭の中に残っている。
昨年も2人でLIVEに行った。
きっと今年も2人で行くのだろう。
さおりん